はつひのでです。
お金のイメージについて、気づいたことがあるので書こうと思います。
前回の記事で、
・お金のことは嫌いじゃないが好きでもない。常に銃口を突きつけられて、「価値を証明しろ」と言われている気分。緊張感がある。これは自分を投影しているのか?
といったことを書いたのですが、
あの後さらにお金へのイメージが細かくわかりました。
前回は「銃口を突きつけられる」と書きましたが、どちらかというと「試験官に採点される」といった感覚の方が近いです。
試験官は私が「よい子」でいるかどうかを見ていて、点数をつけてきます。お金は試験の点数のようなもので、私がどれだけ「よい子」でいられたかどうかのバロメーターです。
「よい子」でいられればお金をもらえて優しくされますが、「よい子」でいられなければお金はもらえないし冷たくされる…という印象があります。
「よい子」の定義は曖昧です。
ちゃんと行動できる、感謝ができる、能力を証明できる、自己犠牲できる、他人を関心を持ちgiveできる…いろいろあるので、まだ頭の中ではまとまっていません。流動的に変わるもののような感じもします。
その時の私にとっての「正解」像なのだと思います。
でもそれだと気が休まらないですよね…。
お金がもらえても、それは「自分がよい子の条件を満たせたから」であって、条件付きの愛でしかないのです。
さて、お金のイメージが少しクリアになったので、「身近な人の中でこのお金のイメージに近い人はいるだろうか?」とも考えてみました。
そしたら、出てきたのは高校の頃の怖い担任の先生でした。
父親を投影している面もあると思います。
私は先生が苦手でした。授業中はいつもピリピリとした緊張感がありましたし、下手に問題を間違えると皆の前で詰められるので…。
あと私が大学生になってから一度だけ高校の学祭に当時のクラスメートと行き、そのついでに担任の先生にも会いにいったことがあったのですが、大学の試験の話ばかりされてがっかりした記憶があります。(これは私が先生に期待しすぎなのもありますが)
大学生になって、やっと受験勉強という土俵から抜け出せて、やっと勉強抜きの話をいろいろできる立場になれたと思ったのに…。。
やっぱり先生は勉強の話ばっかりじゃん。。と落胆しました。(…まあ、学校の先生なんだしそれが普通なのか…?)
似たような感覚は父親にも感じていて、父親もまた高校の先生をやっているのですが、勉強の話ばっかりしてきたように感じています。(その割にいい点とっても褒めてくんないし)
なんか…常に私が「優等生」の枠からはみ出ていないかチェックされているような、監視されているような感覚だったんですよね。。そしてその枠からはみ出したら責めてくる…。
平均台を落ちないように歩いているような…。
私が今従わなきゃと思いこんでいる「よい子」の定義は、上記に書いた「優等生」のそれとはまた違います。
「優等生」の定義は学校で生き抜くためのもので、「よい子」の定義は社会で生き抜くためのものです。
…私ってこうやってずっと、他人に認められるために、自分を縛って頑張り続けるのかな…
なんて考えると、すごくむなしいというか悲しい気持ちになります。
早く条件なんてとっぱらって自分全体を愛せるようになりたいです。
それでは、今回はここまでです。
また次の記事でお会いしましょう♪