さっき気づいたことです。
私はいじめられた中学時代、スケープゴートをやっていたんですね。
私は生け贄だったというわけです。
他の人が行き場のないストレスを発散したり、不安定な雰囲気だったクラスでかりそめの安心感を得たりできるように。
(実際、当時のクラスはいじめを抜きにしても全体的に雰囲気が悪かったのです。陰湿で鬱屈としていました。)
なぜそう思ったかというと、先程アダルトチルドレンについての記事を読んでいまして。
私は家庭がそこまで悪い環境じゃなかったので、自分はアダルトチルドレンとは違うな~と思っていたのですが、
場所を家庭から中学時代のクラスに置き換えると、
私はアダルトチルドレンのスケープゴート型に酷似しているなと感じたのです。
その記事のスケープゴート型のチェックリストを確認してみたら、親に関する項目以外はかなり当てはまっていました。
そして「自分はアダルトチルドレンではないけど、スケープゴートだったのか」と思うと、自分や周りへの怒りが和らいだような気がしました。
「いじめられたのは自分が悪いわけじゃない」と心から納得できるからです。
そして思い返すと思い当たるふしがありました。
私は基本的に自己中なのですが、
なぜか逆に小学生の時から他の子に振り回されたり、
ロクに関わったことのない人に一方的にキツく当たられたりすることが何度かあったんです。
また、
中学生の頃からよく
「他の人が一人になるくらいなら私が一人になろう。」
って思ってたんですよね。
体育の時のペア決めとか特にね。。
そして当然のようにペアで私が余って
「やっぱり私は当たり前のように一人になるんだな」
と、毎回のように落胆してたんですけどね(笑)
あと、中学時代に隣のクラスに大っ嫌いだった友達がいたんです。
小学生の頃からのくされ縁で、
示し合わせたわけでもないのに偶然同じ部活に入ってしまい、そこで散々迷惑をかけられました。
今の私ならブチ切れてさっさと縁を切ってたと思いますが(笑)
当時の私はなかなかその友達に厳しくできなかったのです。
なぜかというと、友達は友達でかなりストレスを抱えている様子だったからです。
その子も私と同様いじめられるタイプでしたし、成績のことで悩んでいたりしていて私よりもキツそうに見えました。
(同情するふりして私の見下しが入っている感じもしますが…)
…まあ、私は私でその子を助けることで、自分の無価値感を埋めようとしていたところもあるのでお互い様かもしれません。
でも、その子を見捨てたくなかった、これ以上ストレスを与えたくなかったという思いがあったことも確かだったと思います。
今まで私は、
「私がいじめられたのは、私が人からナメられるような弱い人間だからだ」
と思っていました。
そして、昔の気が弱くてすぐにナメられる自分をめちゃくちゃ嫌っていました。
でもそんなマイナスなイメージしか持てなかったかつての私は、
「自己犠牲精神があり、利他的ですごく優しい子だった」
「自分を犠牲にしてでも他人を助けられるほど度量も器も大きい人間だ」
とも解釈できることに気づいたのです。
そう思うと、自分に愛おしさがわいてきた気がします。
めちゃくちゃけなげな子じゃないか!泣ける…!
って思いました。
そして自分が人に厳しくなりきれないのも、私がめちゃくちゃ優しいからだったんだなということがわかりました。
自分で言うのもなんですが、私って「弱者を救済する」才能があると思っているんですよね。
どんなにムカつくことをされても、相手を憎みきれないし嫌いになりきれない、見捨てられない感じがあるのです。
いじめてきた人達には殺したいと思うほどムカつきましたが、素直に謝ってきて私に優しく接してくれたとしたら、私はたぶんすぐ許しちゃうと思うんです(笑)
「自分がいじめられたのは自分に問題があるからだ」
と思っていたけれど、本当のところは
「自分には人を救うという大きな才能があって、あえていじめられてあげていた」
「私が他のクラスメイトを救う役割をしていた」
のだと思います。
というかそう思うことにします!
そうしないとかつての私が救われない!(笑)
ということで、自分のイメージがちょっとプラスになったよ~っていう自画自賛記事でした!(笑)
私は自己否定と自己嫌悪がデフォルトなので、意識して自分を褒めていかないといけませんからね!(笑)
ということで、今回はここまでです。
漫画の話もさっさと書いてしまいたいのですが、けっこう重くなりそうなのでつい後回しにしてしまいますね。。
それでは、また次の記事でお会いしましょう♪