ひのでの日記

長年の生きづらさと向き合って整理するための記録。引き寄せとかスピリチュアル系の話もします。感情的だったり偏った表現になってしまうことが多々あるのでご注意ください。

自己犠牲=仕事という思いこみについて

こんにちは、はつひのでです。

最近母親との関係を見直しているのですが、そうすると私の仕事に対するマイナスイメージの原因がまた少しわかってきました。

タイトルにも書いたのですが、私は「仕事=自己犠牲」だと思っている節があります。

で、その思いこみの大元はどこから来ているのか…と考えたときに、私の家事への思いが関係しているのではないかと思ったのです。

 

以前も書きましたが、私は家事が基本的にあまり好きではありません。調子のいい時を見計らってなるべく短時間ですませるスタイルを取っています。

そして母もまた家事が好きではなさそうです。誕生日プレゼントの希望を聞いても「プレゼントより家事をしてほしい」と言われたことがあります。それなのに、母はずっときっちり家事をこなしていて、私は感謝と罪悪感をよく感じていました。

私にとって家事とは一番身近な「仕事」でした。ですが、母は無理をしてそれをこなしているように見えるし、私も家事をする時は無理をしている感じがある。

なので「家事=自己犠牲」であり、「家事=仕事」なので「仕事=自己犠牲」という思いこみができてしまったのだと思います。

 

私が家事を肩代わりすると母は喜んでくれます。

そんな時、私は母の負担を減らせたのだとほっとした気持ちになります。

ですが、同時に

「自分が辛いことを他人に肩代わりさせて喜ぶなんて」

「私が辛いのはどうでもいいのかな」

という黒い気持ちが湧いてきてしまっているのも事実です。

なんか考え方が歪んでますよね。。

 

…というか、これを書きながら気がついたのですが、今まで私が家事を肩代わりしようとしたのは、

「母を喜ばせたい」というよりも、

「母に負担をかけている罪悪感から逃れたい」という理由の方が強いのではないかと思います。

これは「自分は母に負担をかける存在だ」という自己否定がベースになっていますね。。

だから、家事を手伝って母が喜んでくれてもあまり嬉しくなかったんだなあ…。。

それどころか、「また母にエネルギーを奪われた」と感じていた理由もそれだったんだなあ…。。

なんかまた自分の情緒の未熟さを知った気分です。

 

あ、それと私はここ数年、母が家事で疲れている様子を見て実はイライラしていたんです。(普通に考えたら最低な話ですね)

ひどすぎる言い草になってしまいますが、

「家事が辛いなら手抜きすればいいじゃん。料理だって嫌なら出前とか取ればいいのに。」

「高いからって出前も外食もほとんどしたがらないけど、父さんだって出前でもいいって言ってるんだし。疲れてる様子を見せられるくらいなら多少お金をかけてでも出前にしてくれる方がずっとマシなんですけど。。」

「そうやって疲れている様子を見せて、また私達に罪悪感を抱かせてコントロールするつもりでしょ。間接的に責められている気がするし本当ウザい。被害者ヅラしないでよ。」

「自分や私が苦しい思いをしないことよりも、お金の方が大事なの!?」

なんて思っていましたよ。。

ひどすぎるので本人には口が裂けても言えません。。これを読まれた方も、不快に思われたら申し訳ないです。

 

なんというか、私の中では「仕事=嫌なことを肩代わりさせられる」というイメージが強いみたいです。その分お給料はもらえるのですが、「お給料をもらえる喜び」よりも「嫌なことを押し付けられたストレス」の方が上回っている感じです。

 

もっといろいろ気づけそうなことはありますが、区切りがいいので今回は一旦ここまでとします。

それでは、また次の記事でお会いしましょう♪