ひのでです。
今しがた、けっこう大きな気づきがあった気がするのでご報告…
それは、
「私は自己犠牲しないと人に喜んでもらえない」
という思い込みがあること!
まだガッツリ腑に落ちているわけではないのですが、理屈としては通るなという感じがします。
(もう少し掘り下げたらより核心に迫る大きな思い込みが出てくるかもですが)
私は今現在ニートなのですが、仕事に対するマイナスイメージがそれはもう大きくて。
「仕事=自己犠牲」っていうイメージがガッツリついてしまっていて、働かなきゃという焦りはあれど、心がついてこないな~…という状況が続いておりました。
で、仕事へのマイナスイメージが強いことは前々から自覚していたものの、どこからそれが来たのかがよくわかっていなかったのです。
父親がワーカホリック気味でほとんど休みなく働き詰めなのを見てマイナスイメージを持ったのかな?と推測していましたが、なんだかそれだけではピンと来ない感じでした。
ですが、先ほどふと
「仕事=他人に価値を与えて喜んでもらう」
「他人に価値を与えて喜んでもらう=自己犠牲」
「仕事=自己犠牲」
になっているのでは?という考えに思い至りました。
特に、真ん中の
「他人に価値を与えて喜んでもらう=自己犠牲」
になっているのが問題ではないか?と思ったのです。
そして、この思い込みには心当たりがあることに気がつきました。
おそらく、両親に対しての私の思い込みが投影されているのだと思います。
具体的に言うと、
「どうせ家事をしている時くらいしか本気で喜んで褒めてくれないんでしょ」
という思い込みです。
とはいえ、両親は別に毒親というわけではなく、ちゃんと子供のことを愛して大事にできる人達だと思っています。
ですが、
私が勉強を頑張ってテストで学年一位を取ったり、
難関と呼ばれる大学に現役で合格したり、
きょうだいが部活で全国大会に行ったりした時よりも、
家事を手伝った時の方が喜んでくれるし、心から褒めてくれるなと感じていました。
もちろん家事やお手伝いをすることは素晴らしいことです。
ですが、私はハッキリいって家事が嫌いなのです(笑)
嫌いなので、家事をする時はかなりエネルギーを消耗するし、料理なんか作った後はぐったりします。
(そんなに頻繁にやっているわけではないですが)
喜んでもらえるのは嬉しいですが、
「嫌いなことを無理してやってようやく喜んでもらえる」
「喜んでもらうにはこれからも嫌なことをずっと続けなければいけない」
という思い込みが同時に生まれてしまったのです。
そしてそれが
「自己犠牲=他人に価値を与えて喜んでもらうこと」
になってしまったのだと思います。
…どうせなら、得意で好きだった勉強で喜んでもらえた方がずっと嬉しかったです。
自分が好きなことで努力しても、それはただの自己満足でしかなく、人を喜ばせられないんだなと思ってしまい辛かったです。
…と、愚痴っぽくなってしまいましたね。
いい年してこんなことで両親を責めるのもどうかと思いますが、ちょっと吐き出しも兼ねて感情的になってしまいました。
とはいえ、仕事に対するマイナスイメージの原因が少しわかってきたのはいい収穫でした!
またこのことに関して何かわかったら記事にしようと思います♪