ひのでの日記

長年の生きづらさと向き合って整理するための記録。引き寄せとかスピリチュアル系の話もします。感情的だったり偏った表現になってしまうことが多々あるのでご注意ください。

「罰」の感覚

はつひのでです。

「成長しないと罰を受けるという思いこみ」の記事を書いて改めて思ったのですが、

私の中には「罰を受ける」という感覚が根深くあるようなのです。

 

今まで自分は罪悪感を感じやすい方ではあるな~と思っていたのですが、

より厳密に見ていくと、罪悪感には純粋に申し訳ないと思う気持ちだけではなく、「罰を受ける恐怖心」が混ざっているような気がします。

むしろ恐怖心の割合の方が大きいかもしれません。罰を受ける恐怖から逃れるために、罪悪感を生んでいるまであると思います。「罪悪感を感じて反省してるからこれ以上痛めつけないで!!」みたいな。

よくある「自分のことを悪く言うのは他人にこれ以上悪く言われたくないから」みたいな話とほとんど同じですね…!

 

となると、私は本当に反省しているわけじゃないのかも。降りかかる火の粉を避けるために反省しているポーズを取っているだけなのかもしれません。

そして「成長しないと罰を受けるという思いこみ」も、罰を受けないために「私は成長しようとしていますよ」っていうアピールをしているんですね、たぶん…。。

 

成長すること自体は好きですし、自分の成長が感じられると嬉しくなりますが、だんだん「成長」が自分にとって義務になって辛くなるのはそういうことだったんですね…!

「罰」が前提にあったのか…!!

どうりで今まで「成長しなきゃダメだ」っていう思いこみが外せなかったわけだ!!

今気づいたので自分でも書いててびっくりしています。

 

そして、私にとって「罰」の感覚は小さい頃からあったな…ということにも思い至りました。

小さい頃家族でテレビを見ていた時に、昔外国のお姫様が処刑された~みたいなエピソードを紹介する番組がありまして。

たぶん私はなぜお姫様が処刑されてしまったのかが理解できなくて、親にそれを尋ねたんだと思います。

で、その時親が「お姫様はわがままを言いすぎたから家来に殺されてしまった」的なことを答えたんです。

(今思うとフランス革命のマリーアントワネット辺りの話だったのかな?殺された原因はわがままだけではないと思うけど…)

そしてそれが幼少の私にはめちゃくちゃ衝撃で(笑)

「そうか、わがままを言いすぎると私は殺されてしまうのか…」と学習してしまったのだと思います。

小さい頃の私は「死」にすごい敏感で強い恐怖心を抱いていました。

(テレビ番組で燃えさかる小屋から脱出するマジックショーを見た時は、本当にマジシャンの人が死んだと思いこみ、怖くてしばらくテレビを見られなくなったこともあるほど(笑))

それで、「わがままを言う=罰を受ける=死ぬ」という図式が完成したんじゃないかと思います。

そしてそれがいつのまにか

「わがままを言う、成長しない=罰を受ける=見捨てられる」に変わったんだと思います。

さすがに「罰を受ける=ガチで死ぬ」にはならないよなと学習しましたが、「見捨てられる」も社会的な死と捉えると意味合いは近いと思われます。

また、「わがままを言う」に加えて「成長しない」という項目も「罰を受ける」条件に入ったという感じです。

いや、「成長しない」ことが「わがまま」に内包されていると捉える方が適切かもしれません。成長を求められる場で成長しようとしないのは「わがまま」に入ると思います。

 

…となると、

「わがままを言う=罰を受ける=見捨てられる」

「わがままを言う=見捨てられる」

と書いた方がシンプルでわかりやすいかも。

 

…さらに今気づいたのですが、「わがまま」っていうのは、ある意味で「ありのままの自分でいる」ことでもあるかなと思ったんです。

だから、

「ありのままの自分でいる=見捨てられる」 

っていう思いこみも成り立つんじゃないでしょうか…(汗)

 

そう思ったとき、ふと幼い頃のエピソードを思い出しました。

 

母親から、私は赤ちゃんの頃からでかい声でよく泣く子で苦労したという話を聞いたことがありました。下のきょうだいと比べても大分違ったようです。

また、ものすごい癇癪持ちでもあったようです。これに関しては自分でも思い当たるふしがいろいろあります(笑)。

でですね、そんな私は小さい頃父親にものすごい剣幕で怒鳴られた記憶があるんです。

私の父親は、子どもが悪いことをしたら怒るのではなく、自分の機嫌を損ねたら怒るような人です。(その点では親として最悪だと思います)

そして父親が機嫌を損ねるのは大抵私が激しく泣いたり怒ったりした時です。父親も私同様に刺激に弱いところがあるから、子どもの泣き声が辛かったんだろうなーと今なら思います。

 

でもねー…あの怒り方はないだろ!!!

私は当時三歳とかだよ!?

本気ではなかったんだろうけど私を家から出そうとしてたし、

母親が必死で止めてたのも覚えてる。

私に落ち度があれど、小さな子にあそこまでする必要なんてなかったでしょ!!

しかも私は刺激に弱い性格だってのに!!!

あれって、私にとっては死に近いくらいの強烈な恐怖だったんじゃないかなあ…!!

 

しかも、大人になってから母親に

私が赤ちゃんの頃に父親が私を抑えつけようとした

って話を聞いて、私が覚えてない範囲でも理不尽な怒り方してたんだとも思った。

(今思うと父親としてはマジで最低だ。)

 

…そうか、あれが原因か。

いや、他にも原因はあるのかもしれないけど。

私はもともとすごく感情表現をするタイプで、エネルギーがそれだけ強いんだと思う。

でも、それは両親にとっては迷惑だった。

母親は疲弊していたし、父親に至っては理不尽に怒鳴り付けたり精神的暴力まで加えてきた。

だから私はありのままでいたらいつか見放されてしまうかもしれない、下手したら殺されてしまうかもしれないと思うようになったんだ。。

「罰」の意識は私を守るためのセーフティーだ。

私が暴走して周りの人に見捨てられないための防御装置だったんだ。

実際、それからいろいろあって今の私は昔と比べてだいぶ大人しくなった。

父親も成長したのか老いたからなのか性格は丸くなった。

今は父親と対立することもなくなったし、母親を困らせることもほとんどなくなった。

私も大人になったんだし、それが本来良いとされる状況なんだろうな。

 

…でもそれは私がありのままのエネルギーがバカ強い自分を必死に封じ込めているから成り立っている。

本来のエネルギーを出してしまったら、また父親と対立してバトルになるだろう。

私は肉体だけは大人になってしまったから、今の私が暴れたら被害はさらにひどくなる。

そしたらさすがに両親は私のことを背負いきれないだろう。

そしたら今度こそ見捨てられる。私は一人になってしまう。私を見捨てずに適切に扱える人間なんて滅多にいないだろう。だから私は理解されず一人になってしまう。

 

…まあ、今の私なら違う形でエネルギーを解放できるだろうし、上に書いたようなことにはならないと思います。

だけど、どうしようもない見捨てられ不安があります。ありのままの自分でいたら私は家族からも見放されてしまうんじゃないかなと。

家族は今のところ一番信用しているし、一番心を開いている相手です。私のことを愛していることもちゃんと伝わってきます。

でも、常に漠然とした不安があります。普段は意識しませんが。。

 

…と、ここまで長々と書いてきましたが、思ったよりたくさんの発見がありました。

書きながら勝手に涙が出てきたので、ここに書いたことは実際当てはまっているのだと思います。

涙が自然に出るのは深層心理で浄化が進んでいる証なので喜ばしいですね(^-^*)

実際、深い安心感や癒される感覚もありますし。

 

このテーマはさらに深掘りできそうな気がしますが、今回は一旦ここでおしまいにしたいと思います。

それでは、また次の記事でお会いしましょう♪